震災を考える講演会 報告

7月に開かれた「いま震災を考える」という講演会について、岡さんのいえにインターンに来ている学生の伊武優里安さんがレポートを書いてくださいましたので、ご紹介します。

7月12日、上北沢まちづくりセンターにて、「また、波がきたときに」という講演会が行われました。

私はこの夏、岡さんのいえTOMOを通して、このイベントに参加させていただきました。以前から3月11日に起こった震災による津波について、現地の方のお話を是非直接お聞きしたいと思っていました。

講演会でお話をされたのは震災後の新東名で「ぱぱいやぱんや」というパン屋を経営している野田ますみさんと阿部恵さん、復興の支援の活動に従事されている根本暁生さんという方々です。

私は3人のお話を聞いて今まで被災地の状況をテレビやネットの情報だけで知っていたんだと思いました。
お話を聞いて一番強く感じたのはほんの少しの行動の違いで生き残るパーセンテージが変わるということです。特にそれを感じさせたのは、手紙は1通だけでは目的の人に届かないということです。何十通も出し多くの人に目を通させることが目的の人に伝えたいことを届かせる確率を上げる方法となり、つまり今まででは経験したことのないような行動が生き残るパーセンテージを変えるんだな、と思いました。
今ではこのような活動は少なくなっているとおもいますが、またいつ震災があるかわかりません。今からでも生き残るための対策をしっかりと練りたいと強く思いました。

伊武優里安

一箱古本市が開催されました。

2014年5月17日(土)、岡さんのいえで初めて一箱古本市が開かれました。当日は、気持ちの良い初夏の陽気。
古本やアクセサリー、手作り雑貨、自作の漫画、鉄道模型など様々なラインナップの7つの小さな店舗がオープン!人通りが若干少ない日ではありましたが、チラシを観て初めて岡さんのいえにお越しくださった方も多くご来場いただきました。外のパラソルの下ではお茶もできる、和やかな一時となりました。

小学校でのサマースクール報告

夏休みに上北沢小学校で開かれたサマースクール。見守り隊員が先生となる絵画教室と囲碁教室が開かれました。

サマースクール時には、見守り隊員先生のアシスタントとして奮闘した早稲田大学のインターン生北村さんに絵画教室の報告をお願いしました。

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「絵画教室」報告

前半の低学年の教室では、写生を行いました。 まず、準備体操でリラックスした後に見守り隊員の小塚さんから「丸を描いてください。」と いう指示が出ます。 紙からはみ出すくらい大きな丸を描く子や、小さな丸を描く子もいます。 そのあとは本格的な写生のスタートです。対面にいるお友達の顔をよく見ながら 似顔絵を描いていきます。 続いて、机の上にひまわりや野菜が置かれ、描きたいものを自由に描いていきま す。机の上にない野菜でもOKです。
友達と一緒におしゃべりしながら楽しく描いている子供たちの姿が印象的でし た。学校の先生にとっても 「普段は見られない子供たちの姿が見れた、よい機会だった。」と言っていただ きました。

後半の高学年の教室では、キャラクターデザインをしました。 今の子供たちは「○○をしなさい。」という具体的な指示を待ちがちで、 自ら自由な発想で行動する機会は多くはありません。また、「勉強」という意識 が働くと、 正解・不正解の判断にとらわれがちなようにも感じます。この時間はそのような 枠組みを取り払い 子どもたちに自由なストーリーを頭の中で考えてもらい、そのストーリーの主人 公とその主人公が住んでいる家を描いてもらいました。最初は不慣れなせいか、なかなか書き出せない子もいまし たが、低学年の教室とは対照的に 子どもたちは自分の頭の中にあるストーリーのもと、真剣に黙々と絵を描いてい ました。
描き終えたら、全員がどんなストーリーを考えてその絵を描いたのか発表しました。 魔法使いやUFOなど子どもたちならではのストーリーがそこにはありました。

早稲田大学3年 北村真澄

学生インターンによる「気仙沼ボランティア報告会」

8月10日、岡さんのいえTOMOにて「気仙沼ボランティア報告会」を行いました。

報告会の様子(2011.8.10撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちは7月初めの一週間、ボランティア活動をしました。活動場所は、NPO法人日本冒険遊び場づくり協会が立ち上げた宮城・気仙沼遊び場「あそびーばー」です。あそびーばーは、遊びを通じた被災地の子どもの心のケアを目的に設立されました。

そこには学校が終わる時間になるとたくさんの子どもたちが遊びに来ます。カードゲーム、滑り台、ブランコ、虫取り、水遊び、焚き火と自由に遊べる場所です。

 

7月なので気温はそこそこ高く、水遊びが盛んに行われていました。そこで、排水のための水路の整備を午後2、3時まで行い、授業が終わった子どもたちが来たら一緒に遊ぶという毎日でした。「いっぱい遊んで、帰ったらぐっすり寝れる。それが理想。」という言葉が印象深く、端的にこの場を表していると思います。

 

あそびーばーをはじめ、被災地支援の活動には、全国の皆さんからの支援金によって、運営されています。なお、支援金は2012年3月31日まで募集しています。

日本冒険遊び場づくり協会(東日本大震災復興支援サイト):http://www.playpark.jp/asobibasien/

日本冒険遊び場づくり協会:http://ipa-japan.org/asobiba/

あそびーばー看板(2011.7.3撮影)

 

 

 

 

 

 

 

大谷海岸沿いの道(2011.7.5撮影) ここを通って遊び場へ来る子どももいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ボランティア活動を終えた後、気仙沼湾、そして名取市へ向かいました。湾岸沿いの線路(JR気仙沼線)は流されてしまっていたので、気仙沼駅から港へは徒歩です。山を越えると津波の被害があった地域になります。港へ進めば進むほど、被害状況は大きくなっていきます。大きくなっていったと言っても、それは想像でしかありません。撤去作業が進んでいたので何も無い土地が広がっているのです。

 

気仙沼は漁港を中心に栄えた街です。しかし津波により水産加工施設は壊滅したと言われています。また、数キロに渡る大火災を報道で見た人も多いかと思います。そこにはまだ燃えた船がありました。

気仙沼港の船(2011.7.10撮影)

 

 

 

 

 

 

 

気仙沼駅から仙台駅までは高速バスに乗り、そこから名取駅まで電車です。名取駅と仙台空港を結ぶ仙台空港線は運休しており、名取駅から海岸へ向かって歩いて行きました。どこまでも続くまっすぐな道。そこに船がありました。名取市は平坦な土地です。それ故、内陸まで津波が押し寄せ、船が運ばれてきたのです。見慣れぬ光景に現実感を上手く感じるとることができませんでした。

路上の船(2011.7.10撮影)

 

 

 

 

 

 

 

たった1週間のボランティア。そして1日だけの街の視察。ほんの少しでしかありませんが、体感することで自分たちの何かが変わりました。これからも何ができるのか、自問し続けたいと思います。

 

山田翔太(世田谷トラストまちづくりインターン/武蔵野美術大学院)

ベンヤミン・フィッツェンライター(武蔵野美術大学院)